星は世界中どこからでも見える景観です。星を見て、さまざまな文化を、
はじめに
この小さな本の話は、決して昔に語られた話ではありません。今でも、日本の(海岸べりの)小さな港や川を上流へさかのぼった山奥深くの村で、70歳、80歳の老人から語られている話です。
日本は四方を海に囲まれた国ですから、人びとは、星を目標に船を進め、星を目標に時間を知ったのです。また、山奥深く炭焼きを生業とする人びとにとって星は時計でありカレンダーだったのです。
星ぼしと日々の暮らしとは近い(密着した)ものでした。そして、人びとは、様々な星の名前、伝承、物語、歌を創造しました。特に、北極星が天の北極から少
し離れたところにあって、わずかだが動くことを語った物語が、日本の各地で少しずつ話の内容を変えながら伝えられていることを世界中のみなさんに知ってほ
しいです。
まさに、人びとは、星と生きてきたと言えるでしょう。星は、人びとにとって、山や海等と同様、日常的な景観であり、日々の生活環境だったのです。技術の進
歩は、星を頼りにしなくても方角や時間を知る方法を提供しました。星を見なくても生きていける時代になりました。しかし、星を見て様々な名前や物語や歌を
創造したエネルギー、パワーまで、人間が忘れてしまってはいけない、山や海と同様、星空も大切にしてほしいと思い、星を語ってくれた人の言葉をここにみな
さまへお贈りしたいと思います。
岡山県牛窓町では、「正月、ゾーニホシ……。大きい、ずーと、ふつうの星、三つよしたくらい」と伝えられていました。岡山県倉敷市下津井では、「モチクイ
ボシやいうてな。それが入るようになったら正月なるから、餅が食えるからモチクイボシ」と伝えられていました。朝方、西の空にカストルとポルックスが低く
なっていくように 呼んだのです。
また、カストルとポルックスが2つ並んで輝いている様子を目にたとえた名前も伝えられています。
● ネコノメボシ……猫の目にたとえた
(鹿児島県屋久町)
●
メガネボシ……メガネにたとえた。(広島県豊浜町)
そうそう、あれ!と思われる方がおられるかもしれませんが、大阪府岸和田市ではカストルとポルックスによって船を進める方向を知ったと伝えられていました。
「蟹の目みたいにな。名前ってわからへんけど、めあてにしてよう走るわな。沖走るとき、蟹の目みたいな星さん、それくらいだったら淡路の正面、今向いてるな」
北極星を常に見て船を進めるとは限りません。北極星ばかり見て船の進む方向を見ないと危険です。実際は、自分の進んでいる方向に近い星を見て、その星が日周運動で動くことを考慮しながら船を進めていったのです。
全天で最も明るい恒星−シリウスは、海で働く人びとにとって関心の高い星です。そして、日々の労働や生活の場における色の観察にもとづいた呼び名−アオボ
シが伝えられています。アオボシのアオはブルーという意味で、シリウスを青色と観察したのです。アオボシは、北海道、青森県等に分布しており、イカ釣りの
目標に用いられました。
北海道積丹半島で伝えられている話です。
「それからやっぱり2時間か2時間ちょっとあまりあとに、アオボシという星があがるの。数ある星のなかでアオメシテひかるの。その星がいちばんつく。その
星とアカボシがつくの。どっちの星もつくけど、アオボシちゅうのがいちばんつく。完全につくだ。そのかわりずっと時間がおそいのよ」
おうし座のアルデバランをアカボシ、シリウスをアオボシと色の観察にもとづいた名前で呼んで、最もイカの釣れるアオボシがのぼるのを待ったのです。
実際はシリウスは白色ですが、肉眼では、青白色に感じることも多く、アオボシという呼び名が広く伝えられていたのです。また、オリオン座三つ星との位置関係の観察にもとづいてミツボシノアイテボシ(三つ星の相手星)という呼び名が形
なれば正月で餅や雑煮を食べることができたので、雑煮星、餅食い星と成されたケースがあります。
広島県福山市鞆(とも)町では、「ミツボシノアイテボシいうてな、ミツボシのほとりに大きい星がひとつ出るわな。それを見て、ミツボシノアイテボシやいうて、私ら言いますわな。ほかの星の倍も…、3倍もあるような。ふつうの星よりな、大きい星」と伝えられていました。